大駱駝艦「灰の人」

2011年3月20日、大駱駝艦「灰の人」の舞台を見に行きました。

『人々がこの世界に生まれ入った事件こそを先ず大いなる才能とすることが「天賦典式」 』(大駱駝艦公式ページより)
http://www.dairakudakan.com/index.html

人の生から迸り出るものは、人の心に入り込むみます。
国立劇場の歌舞伎は中止になってしまいました。
地震、原発の事故ですり減った心に必要な事もあります。
余震が度重なり、かなりの緊張ですり減り気味だったのが、かなり生き返りました。

公式ページから転載します。
公式ページに掲載されているのは画像だし、公演終わると消えちゃうと思うので。

『このたびの、列島を揺るがす大災害。
星のいとなみの一撃を凝視して、
私は佇んでいます。
冷厳で無残な荒野で
一人の男がつぶやいていました。
「なるようにしかならん」と。
絶望で憔悴した男の奥深くに、
すでに甦る命の種火が
燃え始めているのを私は見ました。
私ども大駱駝艦は
多くの犠牲となった人々の
ミタマシズメ、
ミタマフリの念を込めて、
ただひたすら「をどる」のみであります。

大駱駝艦 麿赤兒

「灰の人」公演は行います』

自分のやれることをやる。
大駱駝艦に改めて惚れました。

芸能は人の言葉だし、生きようとする力だ。歌舞伎や文楽を観たって、ずっとそうだった事がわかる。権力は人を統制したい時、娯楽や文化を規制し、また、利用する。心にするっと入り込むからだ。